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  • seike33

後期研修医のドタバタ妊婦ライフ〜妊娠・出産編〜



「…おぉ!」


妊娠検査薬に青い線が2本並ぶ。


後期研修がはじまって1ヶ月後、26歳女医の、妊婦ライフの始まりである。


医学部受験における女子差別が明るみになって久しい。私が卒業した大学も、学年の女子は絶対に毎年20人前後。どこも同じもんだ、と思いながらニュースをながめていた。


「入試差別をなくそう!」と署名運動を展開する医学生の姿は、フレッシュでまぶしい(私もオンライン署名をした)。一方で、医師として働きながら、結婚・妊娠・出産する、とはどんな感じなのか、イメージできる・している受験生や医学生は多くないのではないか。


今回の件で改めて、医師として働くことや、そもそも医師を目指すことをためらう女性も増えたかもしれない。


そんな人達への励みといってはなんだが、あまりこういう話をおっぴろげにする機会もないので、あくまでn=1ではあるが、後期研修医(小児科)のバタバタ妊婦ライフを紹介したい。

【つわり〜暗黒時代~】



トイレで喜んだ1週間後=妊娠5週、都内某所へnCPR(新生児蘇生法講習会)を受講しに行こうとする電車で、突然激しい吐気。講義中、座っているにもかかわらず冷汗が止まらず、何回もトイレへ駆け込む。


蘇生が必要なのは、目の前の赤ん坊の人形ではない。私である。最後の筆記試験はもはや記憶がないが、後日ぶじ合格通知をもらう。(経験したことないが)クモ膜下出血並みの激しすぎる片頭痛も始まった。


…ということで、まだ胎児の心拍も確認できていない時期だったが、部長に妊娠を報告し、2週間の休暇をいただいた。「気にせずしっかり休むように」とお言葉をいただくも、自分の当直・休祝日当番を、急遽上司(しかも未婚独身女医)が変わって下さったと聞き、どんな顔して次会えばよいか…下手したら退職させられるかもしれない、と私のメンタルは大暴落。あと一歩で褥瘡ができるかと思うくらい、ひたすら寝たきりですごすほかなかった。


一切の家事をしなくとも、文句一つ言わず、粥を作ってくれる夫に感謝した(その粥も5分後にはすべてトイレにリバースされた)。


【懺悔の日々をこえて、安定期へ】 



ぶっちゃけ体調はまだかなりしんどかったが、2週間後に、はいつくばるようにして職場へ。


妊娠のことは部長からさりげなく、他の先生へ伝えられていたようである。会う先生、会う先生に、「仕事に穴を開けてすみません」と懺悔しまくる。


特に同期のメンズ2人は、私の担当患者も割り振って担当してくれていたが、「今は仕事より自分の体が大事な時期だから」とさらっとイケメンすぎる言葉をかけてくれた。先輩ママ女医の「私もつわりキツかったよ〜」などの体験談、部長の「僕の妻も切迫でずっと入院していたからねぇ、妊娠って大変だよね」などの言葉に助けられる。この時ほど、この職場で良かったと思ったことはない。


外来の合間に、当直室のベッドに横たわりながら、冷めたおにぎりを少しずつかじることで、吐き気を抑えるテクニックを習得。マタニティマークに気づいたサラリーマンに席を譲っていただき、中央線も捨てたもんじゃないと気づく。


胎盤も完成し、妊娠5ヶ月になると徐々に諸症状が改善。ご飯が美味しく食べられるありがたみを噛みしめ、体重が爆発、尿糖も出始めた。生理学実習で飲んだ甘ったるいサイダーの味を思い出し、絶対にOGTTテストだけはしたくないと決意、炭水化物を少なくした弁当を持参し始めたのもこの頃である。


日中の業務については、もともと18時前には当直医師に引き継ぎを行い、オンコールもない勤務システムだったので、特に他の先生と大きな隔たりなく業務を行えた。個人的にはプロテクターをつければ別に大丈夫じゃないかと思ったが、腸重積の整復は他の先生が変わってくださるなどの、マイナーチェンジはあった。


当直については、夜間に万が一、母体に急変があったら責任が取れないと部長から禁止令が出たため、産後復帰まで免除いただいた。そのかわり休祝日の日勤業務を多く入れていただいた。なお妊婦健診については、もともと週1回、平日休みが割り当てられている勤務スケジュールだったため、特別な休みを申請しなくても受診できた。


【産休〜出産】



幸い体調はよいものの、物理的に腹がせり出してきたため、処置は一苦労。ワクチンを打とうとすれば子どもに腹を蹴られ、ルート確保しようとしゃがみこむと尿漏れした(破水かと毎回ヒヤヒヤする)。子どもの泣き声に反応するのか、処置時は胎動も一層激しかった。


法律に則り、産前6週から産休に入らせていただく。年度末が近く他に退職される先生もいらしたため、またもや穴を開けることに懺悔がつづく。できることはします!その仕事やります!と、ダチョウ倶楽部ばりに手を挙げて、細かな仕事を引き受けるようにした。


また外来の引き継ぎはカルテに残す&書面で印刷して手渡しし、意味があったかは不明だがチョコレートも添えてみた。外来では「あら先生!お腹が!頑張って~!」「また先生に診てもらいたいから戻ってきてね!」などと親御さんに励まされ、元気が出る。


産休中は、いきなり仕事を奪われたようで拍子抜けしたが、子どもが生まれてからはなかなか行けない美術館や映画館、カフェなどを満喫した。


37週を越え、陣痛らしき痛みがあるものの、規則的ではない・・・と耐えていたら、自宅のベッドで突然破水し、入院。当直中の夫は焦りすぎて「破水 お産 いつ」とgoogle先生に聞く始末


私もなけなしの産婦人科の知識を総動員して「とにかくちゃんと最初に首をひいてね(第一回旋)」などと、某医師国家試験対策予備校のビデオ講座を思い出しながら、胎児に語りかけていた。


ちなみに陣痛が始まるたびに「2, 4, 8, 16, 32, 64・・・」と2のn乗をして頭をまぎらわせた気持ち悪い妊婦であった(213=8192あたりになると一度、陣痛の波が引くことを27歳にして初めて知った)。


初産のわりには6時間の安産で誕生。涙もろい私は、我が子をみたら大号泣するかと思ったが、最後に胎児が降りてくる間、直腸を圧迫されてものすごい便意が続いていたので、「すっっっっっごい大きなウンチが出てスッキリした!」という感覚しかなく、感動の涙は一滴も出なかった。


子どものApgar scoreも即座に気になったが、幸いnCPRを要することもなく、大声で泣いていたのを聞いて安心した。



・・・と、ひとまず出産までを振り返ってみた(出産後~復帰の様子も、機会があればぜひご紹介したい)。

妊娠・出産なんて100人いれば100通りではあるが、まぁ誰しも妊娠前と同じ100%のパフォーマンスができないことは事実だ。


そのことを迷惑・疎ましいと思い、女医に厳しくあたる職場もあるだろう(実際、別の病院で働いている私の同級生は「君、研修医の間に妊娠するなんて許さないからな」と言われたり、医局のメーリスで「妊娠しないでください」と回ったりしている)。


私の場合は結果として、オンオフはっきりした余裕のある勤務体制、理解のある先生方、家事・育児をなんでもこなしてくれる夫・・・と恵まれすぎたぐらいの環境で、現在はぶじに後期研修を終え、それと同時に2人目も出産したところである。


周りへの感謝を忘れず、かつ「なんとかなる!」の気概で、ぜひ一人でも多くの女性が医師、そして母になることをあきらめないで実現してほしいと思う。さらには、性別にかかわらず皆にとって心から働きやすい社会となることを願う。



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